アフティビの癌闘病日記

令和3年8月、下大静脈塞栓の重篤な合併症である肺塞栓で入院。大静脈に血栓の流れを止める為のIVCF(下大静脈フィルター)留置術を行う。10月に精巣原発胎児性癌・後腹膜転移と診断、泌尿器科にて化学療法を施行。EP療法を3コース、VIP療法を1コース施行。翌年2月、後腹膜リンパ節郭清術・高位精巣摘除術を経て後遺症が残るも予後良好で現在に至るまでの日記です。

胎児性癌、確定

10/6(水)ICU

痛い。息苦しい。

10/7(木)ICU

そろそろ検査結果を…。

10/8(金)ICU

夕方、検査結果でた!

急いで妻がきてくれた。本当に妻には有休使わせてしまって申し訳ない…。

 

病名:胎児性癌

  (原発不明がんじゃなった)

抗がん剤は化学療法

投与量:1日合計4ℓ

肺の腫瘍が増えるスピードが早すぎるので、化学療法+人工呼吸器で対応すると言う話をされた。ちなみに人工呼吸器をつけてしまうと、話すことが出来なくなるらしく、本当に最後の手段だと言う。

とりあえず病名確定したから治療が始まるんだ、がんばれ、あと少し、ハァハァ…。

10/9(金)ICU

病理の結果分かって、なぜか自分が呼んでもないのに次から次へと来客が…。

ICUは普通、本人と看護師、先生しか入れないんだよなー?それなのに来るわ来るわ💧

なんだ?最後のお別れか(笑)やっぱり今夜が峠?「まだ俺にはやり残したことがー!」って気分。

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最初にウチの父母、そのあとまさかの勤め先の叔父と叔母が。がんを告白したら泣いてた。

次に来たのが私の双子の姉。そう、私は二卵性の双子です。

そして娘と息子と妻。みんな、ありがとう、まだ死ぬと決まったわけではない。応援に応えなければ。

10/10(日)ICU

一晩苦しんでる最中、今までの事を振り返ってみた。

何が悪かったか、自分のしたことで、「ああ、やっぱりあの時の所業が悪かったから癌になったのか」とか、色々とここで悶々としてみる。

悔いはないかと思うと、一番の悔いは音信不通の中学からの親友ともう一度だけ話がしたいと言うこと。

 


ICUでの携帯電話の使用を特別に許可してもらった。

夜、親友の実家に電話した所で自分の記憶が飛んだ。

 


気付くとICUのベッド。

 


突然の眠気で落ちたらしい。

 


その後、携帯電話の着信で起きた。

 


その着信は今まで音信不通だった親友からの電話だった。ついに親友と連絡が取れた😭

 


色々と話をしたかったのに、息がもたない。

 


今の状況、今までの感謝を話してて泣いている自分がいた。

もちろん負けるなと励まされた。

あんまり覚えていない…。

 


これでもう悔いはない。

 


今日も双子の姉の一家みんなでお見舞いに来てくれた。メロンソーダオロナミンC買って来てくれた。

ご飯は相変わらず食べれない。パン2つと牛乳のみ。

息苦しい、浅い息しか出来ない。

抗がん剤治療は明日だ、それまで体力つけないと。