アフティビの癌闘病日記

令和3年8月、下大静脈塞栓の重篤な合併症である肺塞栓で入院。大静脈に血栓の流れを止める為のIVCF(下大静脈フィルター)留置術を行う。10月に精巣原発胎児性癌・後腹膜転移と診断、泌尿器科にて化学療法を施行。EP療法を3コース、VIP療法を1コース施行。翌年2月、後腹膜リンパ節郭清術・高位精巣摘除術を経て後遺症が残るも予後良好で現在に至るまでの日記です。

胎児性癌になるまでの話(その9)

9/15(水)入院17日目

前日から痛み止めの麻酔フェンタニル点滴入れて痛みは和らいだけど、中々寝付けない。今までベッドを起こし気味に寝てたから、血栓を溶かす薬が行き届かなかったんじゃないかと勝手に思い込み、フラットにして「きょうつけの姿勢」で寝た。寝た気がしない。

朝5時過ぎからの38.9℃。たまらず解熱剤を飲む。

朝ご飯前からの解熱剤がばっちり効いて眠る。朝ご飯が来たのを知らずに看護師さんに起こされる。

その後いつものおはよう採血、主治医の先生による解説付きのエコー、心電図、レントゲン、放射線科でまたしてもガリウムシンチ注射と続く。

日中は薬効いて寝やすかったけど、日中寝ると夜寝れないから踏ん張る。が、それが仇となる。案の定、夕飯食べてからの高熱39.2℃。カロナール効かず、麻酔点滴のフェンタニルを強くする。氷枕を首と熱源の腰にあてがうも気休め、中々下がらない。かれこれ格闘すること4時間後、寝汗びっしょりでようやく効いてきた…それでも37.8℃。結局翌朝までに2時間おきに寝汗びっしょりを喰らった。

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↑朝ご飯をパン食に変えてもらい喜びの図。指についてるのは病院用パルスオキシメーター。

9/16(木)入院18日目

今日は病衣補充の日。

そして5日ぶり洗髪!とシーツ交換。

朝5時ころ、ようやく寝れる状態に。が、朝ご飯たべてから38.5℃の熱。もはやロキソプロフェンもカロナールも効かない。

9:00に解熱剤点滴投与。

17:00までひたすら寝た。

夜、だんだん熱が上がってきたぞ?寝る前に次の日の為に下剤2錠飲む。なんかいろんな所の体がかゆい。

今更だけどスマホの大失敗。

こんなに入院が長くなるなら、スマホの契約をインターネットのピタットプランから使い放題MAXに変えとくべきだった。病院の個室や大部屋にはWiFi通って無いから、ネットで動画なんて見たらあっという間にピタットプランの上限まで行ってしまう!来月まで入院が確定したら絶対プラン変更だな。

9/17(金)入院19日目

昼前にまたまたガリウムシンチの検査の為1F放射線科へ。30分くらいかかる。炎症や腫瘍がある所に薬が集まるらしい。結果はいかにっ?

そして今日のお昼から解熱剤の薬を増やされた。これで朝昼晩共にロキソプロフェン×1、カロナール×2を毎度服用することになった。

これだけ解熱剤飲んでら熱も下がるでしょう。結果、日中から夜間にかけても終日37.0℃止まりの平和な1日でした。

 

本業の農家で今年の稲刈りが始まったとの報告。

転院前の病院は7階の南側だったため、遠くの方までよく見えた。自分が管理した田んぼや畑も見えた(双眼鏡使って)ので、コンバインやら農機が出てきたら見えたはずなのに、ここは壁しか見えない。

ふと思うのは、自分がいなくても世の中は回っていくってことだなあ。